「困った人達」

 世の中には「良い人」と「悪い人」のほかに、「困った人達」がいます。その方々は、一見「こちらのことをっ考えてくれているようで、実は自分のことしか考えていない方々」です。その方々にも大きく分けて2つのタイプがあります。一つはこちらの都合も聞かず、一方的にこちらのためによいことをしているつもりで「善意の押し売り」をする方々です。もう一つのタイプは、こちらが善意でしてあげたことを当然のことと誤解して、その後も「善意の押し買い(要求)」ををする人たちです。このような方々は、「悪人」よりも始末が悪い。悪人であると自他ともに認めている相手であれば、こちらも公然と敵意を示して対抗するなり、決然と付き合いを断り関わり合いにならないように手を打つことができます。そこでこちらも相手の魂胆を見抜いて、その「野心」をくじいたり、相手のアプローチを躱したりして「難を逃れる」ことが必要です。

 まず初めのタイプの方々ですが、例えば人事異動で新しい部署に異動したときとか、新しい家を買って引っ越しをしたようなときに、「今晩付き合ってくれ」とか「ご近所でお茶会をするので参加しませんか?」と言われるようなときのことです。まだ相手のことがよく分からないうちに、仲間に引き込まれて後からどんな影響が出てくるか想像できない段階でのオファーに対して、「断れば相手は善意で言ってくれているのでこちらが非難されてしまう」。たまたま同じ仲間になった方が好都合であればいいが、逆に「派閥への取り込み狙い」だったりすると、後々尾を引くことになり、何かと「しこり」が残ります。

 まして、外交関係のような場所ではお互いが「狐とタヌキ」で「テーブルの上では握手しながら、机の下では相手をけ飛ばす」ようなことは「常識の範囲」ですから、「真実一路」が服を着て歩いているような人の場合、愕然とすることになります。例えば、トランプ大統領と習近平国家主席のフロリダ会談の夕食会の席で「北朝鮮の核開発をやめさせてくれ」と言いながら、一方では「中国がやらなきゃアメリカが直接やるからな」と言い、他方では「シリアでサリンをアサド政権が使ったから空爆したった」と言います。このときにトランプさんは「中国のためにも北朝鮮に核を持たせることはマイナスにしかならない。力を合わせて北朝鮮を抑え込もう」と「善人面をして交渉する」でしょう。でも中国としては「北朝鮮が怒っているのはアメリカに対してであって、中国に向かって「反中行為」を行えば、明日にでも石油を止めさえすればミサイルが飛ばせなくなるばかりか、戦闘機もトラックも動かなくなる。この場合、中国にとっては「北朝鮮の核開発停止」は有難迷惑で、むしろ中国は自分の手を汚さずに、北朝鮮がアメリカを弱体化させてくれる絶好の機会なので、有難迷惑なわけです\xA1

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 もう一方の、「善意の要求」ですが、「善意」というのは「自発的」であるから価値があるのであって、「強制された善意」というのは「苦痛」以外の何物でもありません。確かに相手は前回のこちらの善意から「尽くしてあげた結果」に満足して、こちらの優れた交渉力を認め次も同等以上の尽力を期待してくれているのだろうとは容易に予測できるのですが、それは一度だけ相手のピンチを助けて、仲間としての全体のパフォーマンスを守っただけのことで、それが毎回となるとこちらの負担は毎回過重になり、残業したり休日出勤でカバーしているのに、要求した側はルンルンで麻雀に打ち込みゴルフに明け暮れられると「やってられない気分」になります。

 「善意で一度ピンチを救ってあげる」というのは、「こういうやり方であなたがやればできるものなんですよ」と見本を示す意味もあるのに、「善意を要求する側」は「あなた個人が持つ特別のスキルであって余人を持って代えがたい」などと勝手な言い分で、さもこちらを高く評価して感謝し尊敬しているふりをして、その間自分の世界を広げたり、趣味道楽に興じたりされると、「善意の行為に対して『貸し借り』を明確にして、どこかでお返しを求めたいような気分」になります。サラリーマンの社会では、このような「他人の功績をピンハネして自分の功績を大きく見せる人物が多く存在しますので、定期的に人事異動で「善意の貸し借り」を清算しておきませんと、単なる表面の数字上の業績評価だけで判断されれば、「正直者が馬鹿を見る」社会になり、チームや会社の業績にプラスになりません。

 「義理と人情を秤にかけりゃ〜 義理が重たい男の世界〜〜」今は女性が活躍する社会ですから、もっとドライな世の中になっているんでしょうか?